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1C2.入院生活 紹介状を持って病院に行き、診察を受けるとすぐに入院することになった。今すぐに。 しかし、病院に行った後、両親とラーメンを食べて帰る予定だったため、両親と私は驚いて、今すぐに入院することは出来ないことを先生に伝えた。「着替えや、洗面道具なんかも取りに行かないといけませんし」先生は、「いやいや、息子さんだけ病院に残って、ご両親が荷物を取りに行ったらいいですよ?」と一歩も引かない。先生の顔を見ると、「なんでそんなことを言うのだろう」という表情だった。 それにしても、今すぐに入院しなければならないというのは、今思うとかなりヤバイ状態だったんだなと思う。 先生を説得して荷物を取りに行き、ラーメンを食べた。 入院生活が始まった。入院当時は「誰とも話したくない。死にたい」という気持ちでいっぱいになっていたが、窓には格子が取り付けられていたり、約2cmしか窓が開かなかったり。飛び降りや脱走を防止する対策がされていた。 入院しても、辛い気持ちは変わらず。定期的に回ってくる看護師さんに「死にたいです」と言って泣いてしまった。 看護師さんは真剣に自分の話を聞いてくれた。真剣な表情で最後まで、私の話を聞いてくれたのだ。自分の思いを全て聞いてくれたので、ある程度気分が楽になった。しかし、当時の私は無表情で思考がまだ鈍くなっていた。 入院前、1日14錠飲んでいた薬は4錠に減った。 入院当初、夜は眠れなかったり、ネガティブな気持ちになったりして、追加眠剤をもらったり、尻に注射を打たれたりしていた。 私が入院していた病院は、牢屋みたいなところではなく、病室にはドアもなく患者は自由に病院のフロアを移動することができた。また病院はレクリエーションが盛んに行われていた。 レクリエーションは、 ・歌を歌う ・散歩をする ・畑仕事 ・ちぎり絵 ・運動会 ・クリスマス会 全ては思い出せないが、これくらいはあったと思う。 午前中に、看護師さんが病室を回り、「歌を歌いませんか?」とか「散歩しませんか?」とか「畑に行きませんか?」と誘ってくる。 もちろん、入院当初は誰とも関わりたくなかったので、断っていた。 今思えば老人ホームのデイケアや、幼稚園のような感じだけど、重い精神病患者は本当に老人みたいな(というかゾンビのような)歩き方をし、痴呆の進んだ老人のように思考が鈍っているので、社会生活に復帰するためには、そういう単純作業を行いリハビリをしなければならないのかもしれない。 入院中、3日に2日は両親または、父、母のどちらかがお見舞いに来てくれたので、孤独を感じることはなかった。 これはすごく大事なことかもしれない。 じゃあまたね。と言って別れても、明日か明後日には誰かが私を訪ねてくるのだ。 父や両親がお見舞いに来るときには車で、母だけが来るときにはバスで片道1時間半もかけて来てくれた。 入院後2週間経てば外出許可を申請することができ、1ヶ月経てば外泊許可を申請することができた。 両親は私を外出、外泊する度に、外食に連れて行ったり、家でのんびりさせた。 思えば、このおかげで孤独感を感じることもなく、退院できるまで回復したのだと思う。 入院2ヶ月目になると、レクリエーションにも積極的に参加するようになった。 歌を歌い、散歩に出かけ、畑でさつまいもを収穫する。 運動会ではモンスターハンターの仮装をして、クリスマス会ではケーキを食べた。 そして、無表情で能面のようなこわばった顔が少し柔らかい表情になったと、母から言われた。 そして退院の日を迎えた。 |
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