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1C1.統合失調症になってしまった 私が心の病というものになったのは、2007年7月だった。もう4年も心の病気と闘っていることになる。当時の私はプログラマをしていた。派遣先の職場はひどい状況だった。毎日のように仕様変更があり、プログラムの完成が遅れている状況にもかかわらず納期は変わらなかった。私は、プログラマという職業に誇りを持って従事していたため、言うことがコロコロと変わるプロジェクトリーダーが許せなかった。そして"一週間の内の半分は頭の中が真っ白になるくらいブチ切れていた。 この時から夜眠れなくなってしまった。 「なんであいつはいつもそうなのだ」 「こんなんじゃ、いつまでもプログラムを納品できない」 夜、そのようなことを考えていると、いつの間にか朝になったりしていた。そうした毎日を過ごす内に私は慢性的な不眠となってしまった。夜眠れなくなってしまったので、薬局で睡眠導入剤を購入し服用し始めた。最初のうちは睡眠導入剤で眠ることができていたが、体が慣れてしまったのか、職場に対する不満が睡眠導入剤よりも強かったのか、睡眠導入剤では眠れなくなってしまった。 睡眠時間は毎日1時間以下となり、まったく眠れない日もあった。 眠れないということは本当に辛いもので、この時初めて心療内科に行った。精神病院は高校時代に友人の友人が入院していたのを、友人と一緒にお見舞いに行ったことがあるので、あまり行きたくはなかった。牢屋みたいな殺風景な部屋、なんかおかしい奴が無言で部屋の外からドアを開けて覗いてくる。こんな所にはお見舞いでももう二度と行くものかと思っていた。心療内科や精神科クリニックはインターネットのホームページできれいな所を探した。 「とにかく眠りたいんです。眠れるようにして下さい」 心療内科の医師の前でそう言って泣いた。とにかく眠れない辛さから解放されたかった 。 この辛さから開放されるならどんなことでもしたいと思った。 しかし、この時にはもう手遅れだったのかもしれない。また、病院選びを間違えたのかもしれない。 医師から処方された睡眠薬は、最初は効果があったがすぐに効かなくなってしまった。それを医師に伝えるたびに、薬の量や種類が増えた。でもこのときはまだ辛さに耐えながらでも、会社に出勤できていた。 会社に出勤できなくなったのは、ソフトウェアの納期の次の日だった。辛くてしかたがなかったことと、仕事が一区切りついてホッとしたのか、2日連続で会社を休んでしまった。その後、プロジェクトの契約期間が終わり、また別のプロジェクトへ異動となったが、体調は変わらなかった。それどころか、酷くなっていった。眠れないだけでなく、常にネガティブな考えが私の心を支配するようになった。 私が務めていた会社は3月に自己査定を行い、昇給や評価を得るために会社に自分をアピールする機会がある。そこで事前に自己査定表を作り会社に提出するのだが、私は自己査定表にこう書いたのだ。 『私のような無能な人間は昇給する価値もなければ、賞与をもらう価値もない』 当然、顧客からの評価がそう悪くない私がそういう事を書いたので会社の上司は驚いて面談の場を設けた。会社からは休職を提案された。しかし私は県外就職で、アパートで一人暮らしをしていたので「休職中は無給になるので生活できない、働きたい」と休職を断った。今思えば休職して会社に籍をおいたままアパートを引き払い実家に帰るのもよかったのかもしれない。 そして、引き続き会社で働いたが、辛いのは変わらなかった。 強い薬を処方されて一時的に状態は良くなっても、体が薬に慣れてしまうようで薬が効かなくなった。それを医師に伝えるたびに薬の種類や量が増え、ついには1日14錠薬を飲まなければならなくなった。 この時になると遅刻や早退、欠勤が続くようになる。それだけ薬を飲めば、朝起きても意識が朦朧としている。これは病気のせいなのか薬のせいなのかわからない。 当時務めていた会社はソフトウェア技術者の特定派遣の会社で、会社の中での立場は正社員だが、実際の業務は顧客企業と会社が派遣契約を結んで、技術者を派遣する形態をとっている。そのため、遅刻や早退、欠勤が続くと営業も大変になるが、前もってそう言うのは顧客企業に説明していたらしい 。 しかし、遅刻といっても、30分や1時間というレベルではなく、午後3時に出勤して午後6時に帰ったり。今思うと顧客企業を馬鹿にしているような出勤状態だった。 朝目が覚めて、会社に遅刻するという時間まで金縛りになったように体が動かない。ああもう、会社に間に合わないという時間になるととたんに体が軽くなる。脳は会社を危険な場所であると感じていたのかどうか分からないが、そういう状況だった。遅刻しても会社に昼には行ける。朝、普通に通勤したり、ひどい時には外には出たくない状況だった。 辛い今の状況を和らげるべく、携帯電話で自殺志願者のサイトを見て、自分も書き込んだ『辛くて死にたい。助けてくれ』と。するとすぐに大量の返事が来た。しかし、どれも『死ね』や『まだ生きてるの?死ぬ度胸ないの?いいよ死んで。速く死ね』というものばかりだった。そして失意のうちに除草剤を飲んだのだ。耐え切れない腹痛に涙を流し「助けて、だれか助けて」と泣いていた。 そして会社の上司に『辛くて死にたい』とメールを出し、休職したいと会社に泣きついたのだ。会社の労務管理担当者が別の精神科医を紹介してくれてそこで診察を受けるように言われた。 メール本文(一部) 休職については9月16日に面談をしていただけるということで 非常にありがたいです。 〇〇クリニックは残念ながら月曜日は休診でした。 毎晩朝まで、理由もなく辛く苦しく悲しいです。 逆に死んだら幸せになれるような気がします。 早く幸せになりたいのです。 しかし復社までなんとか出来る限り頑張りたいと思います。 以上、メールにて失礼いたします。 その後会社から紹介された病院を受診し、医師の問診を受けると実家の電話番号を聞かれた。 「お母さんに電話するから、君はこのままだと通り魔になるよ」と医師に言われ、待合室で待つように言われた。 そして再び診察室に呼ばれ「お母さんが明日くるから、明日おかあさんと来てね」と医師に言われた。実家は福岡県、当時住んでいたところは神奈川県。まさか来ないだろうと思っていたが、次の日の朝母がアパートに来た。 朝、精神科クリニックの最寄り駅にいると母からメールがあった。「あんた馬鹿なことして」と除草剤を飲んだことを怒られた。 精神科クリニックで、医師が「会社を辞めて、実家に帰りなさい」と言った。そして紹介状を書いてくれた。 会社に休職したい旨をを伝えるために私と一緒に会社に行った。上司に頭を下げ、休職したいと伝えたが、先日休職の提案を断ったことを理由に退職するように言われた。 母は「これもひとつの人生の区切りよ」と慰めてくれたが、自分は少し落ち込んでいた。 福岡に帰り、区役所で転入手続きをしようと転入届に自分の名前を書こうとすると、体が固まり頭がしびれて文字を書くことが出来なかった。辛く苦しく、そして悲しくなり硬直したまま涙が出て止まらなくなったので、書類はすべて母に書いてもらった。 |
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